ビワハヤヒデ死去
起床してTwitterを眺めてたら、ビワハヤヒデが死んだというお知らせが。
7月21日未明ビワハヤヒデ 号は老衰のため永眠いたしました。もう少し長生きさせてあげたかったのですが、力不足で申し訳ありません。
— 有限会社 日西牧場 (@3iZczUtbYRZlVS8) 2020年7月20日
ビワハヤヒデ の人生(馬生)は恵まれたものだったと思います。多くのファンに応援してもらい、本当に感謝しております。
日西牧場 高山直樹
どうやら老衰らしい。もう30歳だったわけだし、大往生というやつだろう。一年くらい前に、このツイートでウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの三強がそろって存命だと知ってたいそう驚いたのだけど。
ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの三強が揃って存命なんだな。 https://t.co/dmokyuShCC
— shaw (@hashimukai) 2019年9月16日
さすがに寿命には勝てないのである。自分が競馬を始めたばかりの頃の実力馬たちも、ほとんどが鬼門に入ってしまったなぁ…。
ナリタタイシン、ビワハヤヒデが相次いで逝ってしまった。残る三強はウイニングチケットだけになってしまったが、三頭揃って30歳まで生きていたってのがそもそも凄い話なんだよなぁ。
— shaw (@hashimukai) 2020年7月21日
ところで、ビワハヤヒデの名前を久々に目にするたびに、自分は秋の天皇賞当日のことを思い出す。
ちょうど自分が競馬をみるようになったのがナリタブライアンが三冠を達成した年の秋競馬から。そう、ビワハヤヒデが一番強かったこの年の春シーズンはまだ競馬に興味を持っていなくて*1、リアルタイムでレースを観戦したのはオールカマーと秋の天皇賞だけなのである。ナリタブライアンが三冠を達成できるのか、そして兄弟対決ではどちらが強いのか、という話題で盛り上がっていたことを覚えている。
秋の天皇賞当日、自分は高校の修学旅行中(最終日)で、東京で一日自由行動という、競馬場でのライブ観戦デビューにはなんともおあつらえ向きなスケジュールだった。しかし、同じクラスには競馬好きはおらず、単独行動もNGで、さらには競馬場に行ったとしても中に入れるのかどうかもわからない状況で、府中まで行くことはできなかった。
それでも15時頃になって、どうしても競馬が気になって気になってしかたなかったので、一緒に行動していたクラスメイトに無理を言って、最寄りのウインズ*2まで足を運んだ。私服ではあったけれど、修学旅行中の高校生が堂々と馬券を買えるはずもなく、テレビに映し出されるレース映像を眺めただけだった。もちろん、ビワハヤヒデが負けるとは思っていなかったし、それまで続いていた連対記録も途切れることになるとは想像すらしていなかった。クラスメイトが待っている中で、しばし呆然とテレビを見つめていたように思う。
レース直後に岡部が馬から降りたところまで、その場で目にしたのだったかどうか…。ただ、屈腱炎でそのまま引退することになること、ナリタブライアンとの兄弟対決が夢で終わったことを知ったのは翌日になってからだった気がする。
あの年、ビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟対決が実現していたらどうなっていたかなぁ…。ナリタブライアンは、直後の菊花賞で圧倒的な着差で三冠を達成して、同年有馬記念でも古馬を蹴散らしたところまでは最強馬という感じだったけれど、その後は故障もあって古馬になってからはぱっとした成績は残せなかった。まさか高松宮杯が引退レースになるとも思わなかったしな。
兄弟ともに、種牡馬としても結果は残せなかった。ナリタブライアンはすぐに死んでしまったせいでもあるんだけど…。一世を風靡したパシフィカスの血統も先細っていくばかりで、競馬の無情さを感じてしまうのであった。
まぁなんだ、競馬を始めたばかりのころに凄く強い馬がいたけど、その強さを実感する前にターフを去っていった馬というのが自分のとってのビワハヤヒデという存在だったんだよなー…なんてことを懐かしみながら、いつものようにダラダラと駄文を残すのであった。合掌。