ヤマニンゼファー死去
ヤマニンゼファーが天寿をまっとうしたという報が届いた。
悲しいニュースが飛び込んで参りました。今朝、ヤマニンゼファーが亡くなったと連絡がありました......残念です。お疲れさまでした....... pic.twitter.com/nzsrzDIDpO
— ヤマニン倶楽部 (@YamaninClub) 2017年5月15日
29歳。大往生といえるだろう。ヤマニンゼファーが現役だったのが93年いっぱい。自分が競馬に興味を持ったのが94年のことだったので、ヤマニンゼファーのレースをリアルタイムではみていない。だけど、妙に印象に残っている馬だったりする。
それはなぜだろう…?
心当たりを探ってみると、行き着くところはセキテイリュウオーとの一騎打ちになった秋の天皇賞なんだろうか、やっぱり。ヤマニンゼファーの鞍上は柴田善臣、対するセキテイリュウオーの鞍上は田中勝春*1。当時、関東の若手騎手の代表格だった二人でもある。
ヤマニンゼファーの生涯成績を確認してみると、1600メートル以下のレースでは圧倒的な成績を残しているけど、1800メートル以上の勝利は93年の秋の天皇賞だけだ。
過去、1800メートル以上で未勝利だった馬で秋の天皇賞に勝利した例って他にあるんだろうか。距離の壁の限界に挑むことがどれだけ大変なことなのかは、競馬を少しでもかじっていればだれでも実感することだ。だからこそ、その挑戦にはドラマを感じるし、残した結果に対するリスペクトが生まれるんだろうな。
おそらく運もあったんだろう。この年は、怪我がなければおそらく主役だったであろうトウカイテイオーもメジロマックイーンも不在だった。当時、ヤマニンゼファーがマイル路線ではなく天皇賞を目指すことにした経緯はよくわからないけれど、相手関係からチャンスはあるという思いもあったんだろう。それで人々の記憶に残るレースをするんだから、めぐり合わせの良さがあったのかもしれない。
惜しむらくは、3度挑戦して2着2回だったスプリンターズSで勝てなかったことか。もし勝利できていれば、スプリント戦、マイル戦、中距離戦のG1三階級制覇になっていたわけだけど、日本の競馬のレベルが上がれば上がるほど階級をまたいだG1勝ちが難しくなっていることを考えると、不朽の記録になっていた可能性が高いよね。
あとは、種牡馬として結果を残せなかったのももちろん残念ではあるけれど、こればかりはなー…。せめてブルードメアとかボトムラインで名前が残っているといいのだけど、最近血統表を眺めてヤマニンゼファーの名前を見かけたことってあったっけかなぁ。
たぶん血統で後世に名を残すのは難しそうではあるけれど、記憶には残しておきたい名馬の1頭。というのが、この馬に対する自分の印象なんだろうな。合掌。
以下、ネット上で目にした、印象の残ったリアクション。
合掌。 pic.twitter.com/YEXIAt95zw
— 森昌勇 (@morichangyong) 2017年5月15日
田中勝春、柴田善臣がヤマニンゼファー偲ぶ|極ウマ・プレミアムb.hatena.ne.jpこの二人を乗せてG1を勝ったというのは本当に偉業だと思う。
2017/05/17 00:05
JRAのヒーロー列伝シリーズで、ヤマニンゼファーのポスターは屈指の出来だと思われる。俺も欲しい。あと、相談役と勝春が乗ってG1を3勝って、今振り返ってみるとたしかに偉業かもしれないw