ポケモンがハリウッドで実写化されると聞いて、はてさてどんなキワモノ映画になることやら、なんて思っていたのだけど、仕上がった作品の評判が悪くないようだったので、自分でも観てみることした。
一言で言うと、ピカチュウがあざといくらいかわいいのと、それなのに声がおっさんというギャップに萌えるだけでお腹いっぱいな映画だった。ストーリーは普通というか、個人的に親子の絆がうんぬんという話はそれほど刺さらないので、まぁこんなもんかなーと思いながら鑑賞していたんだけど。ラストで、なぜその声だったのかというオチを観て、ははーん、なるほどね、みたいな感想になった。ただ、ちょっと時間をおいて冷静に考えるとさ、だったらなんで主人公はなにも気づかないのか不思議だよな。
無理やり解釈するのであれば…。
- ピカチュウがしゃべった!ということに動揺しすぎて気づかなった。
- ピカチュウの声と本人の声が実は違っていた。
- 昔は仕事人間すぎて、家族と会話を全然しなかった(ので声を覚えていなかった)。
- 物心がつく前に袂を分かった(ので声を覚えていなかった)。
もうすでに映画の細部を忘れかけているのだけど、いずれの解釈にも無理があるような、ないような。俺が気づいてないだけで、劇中で辻褄を合わせる設定について触れられていたんだろうか?
まぁ、そんなこと気にしないで、ピカチュウやその他のポケモンがCGでぐりぐり動くのを堪能するのが、この映画の正しい楽しみ方なんだろうな。